2014年01月08日

最新リマスター版NONSUCHライナーノーツ訳後半:コリン「プロデュースしてもらう気がないならアンディが自分でやれば良いだろと思った。でも、レコード会社はアンディにプロデューサーを使うことを強要した。色々あったが後悔はない。友よ、思い出をありがとう」

XTC NONSUCH THE SURROUND SOUND SERIES

ライナーノーツ BY Colin Moulding


究極ポップNonsuchが感動に震えるサラウンドサウンドと美し過ぎるニューミックスで見事に蘇った!APEからリリース(Blu-ray版は特典一杯)!
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最新リマスター版NONSUCHライナーノーツ訳後半:コリン「プロデュースしてもらう気がないならアンディが自分でやれば良いだろと思った。でも、レコード会社はアンディにプロデューサーを使うことを強要した。色々あったが後悔はない。友よ、思い出をありがとう」


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録音セッションが行われた ‘チッピー’(Chipping Norton)は、古い校舎を改造したスタジオ。遊び場みたいなところに宿舎があるところ。地方色に溢れ、強烈に英国的で、極めてXTCらしい土地。Oranges And Lemonsのアルバムで滞在したロサンゼルスと、あのケバケバしさからは程遠い。

あの夏はイギリスの田舎風情とアメリカの派手さという二つの対極する要素を自分の内部でなんとかうまく調和させなくてはならなかった。イギリスってところは ‘お茶を嗜む国’。くつろげて、こじんまりして、礼儀正しい(大抵は)。アメリカのような重役会議室のテーブルをバーンと拳で叩くようなアプローチ、何かと言うと商売の話ばかりの堅苦しいところとはちょっと違うわけ。結局、あのアルバムではXTCはイギリス風だったのか、アメリカ風だったのか良くわからない。実は、今でもわからないのだ。

どちらにしろ ‘チッピー’は最高だった。アメリカで受けたああいうプレッシャ―をすっかり忘れさせてくれたばかりか、イギリスのポップミュージックとの素晴らしい繋がりがあった。
(略)

91年の夏、コッツウォルズという土地は最高に美しかった --- あそこはいつも良い気分にさせてくれる。一方、レコーディングスタジオの雰囲気は悪化しつつあった。セッションは順調に進んでいたが(少なくともそう思われた)、過去に起こったあの不快なる問題が再び表面化し始めていた…つまり、性格の不一致。アンディパートリッジとガスの議論 --- 最初はフレンドリーな舌戦だったが --- だんだん荒い口調になり始めた。自分はその口論には一切立ち入らなかった。

プロデュースしてもらう気がないなら自分でやれ、というのが僕のスタンス。アンディだったら自分で全部出来ただろうに。どうせ満足できないなら、あんな高い金を払ってプロデューサーを雇う意味ってないよね?

ところが、残念な事に、毎回レコード会社はアンディに 'プロデューサー’という名の鎮静剤の服用を強制した。それで仕方なくアンディはプロデューサーを受け入れた。時にはあたかも苦い下剤をスプーンで飲まされるように。

ポール・フォックス、スティーヴ・リリーホワイト、その他のプロデューサーという肩書きをもった人物たちはバンドを自分の意見に従わせる能力を持つ如才なく人をあしらえる達人であった。彼らにはそういう素晴らしい資質があって、僕らの過去のレコーディングで効果を発揮し助かった。思うに、ガスはロバを叩く棒は握っていたが、ご褒美であるニンジンをあげるのをすっかり忘れたのだ。それは自分には効果はあったが ---多分、仕事を進めるのにちょっと誰かにつつかれるのを必要としていたから。

まあ...レコーディングアーチストというのは繊細なタイプだから... 朝食のCoco Popsシリアルには必ず全脂肪牛乳でないとブチ切れるみたいな連中だよね?ガスをプロデューサーにしてアンディはどうなるのか予想はついていた。でも、みんなもう良い。誰のせいでもない。単に相性の悪い組み合わせだっただけ。

季節は秋となり、ミキシングスタジオに行くのは避けたいと思いながらなんとか波乱を乗り切った。すると、ガスはひとりでミックスをしたいと言ってきたので、僕は行かなかった。結局、彼にはミックス作業は出来なかった。今では周知の話だが、その後、物凄い口論になったのだ。僕はそれには一切関わっていない。その結果、ガスはお払い箱になった。彼を失ったことには不安を感じたし、ガスがミックス完了に向けて味方になってあげなかった僕を怒っているのは知っていた。でも、彼がやりはじめたミックスを聴いてこの僕でさえベストと言えるものではなかった。なのに、ガスという人は、それを面と向かって言えるような人ではなかったわけ。

今でも彼は偉大なプロデューサーだと思うし(彼は数年後に自動車事故で亡くなった)、僕らのアルバムを最高のものにするのに努力してくれたのは確かだが、彼のミキシング・スタイルは僕たちにはピンと来なかったのかも? ミックスにも彼には特定の何かを期待してたわけ。でも、それはそれで良い --- 単に一つのことに優れているってだけで。ニックは、このアルバムの後、世界でも有名なミキシングエンジニアになったし、ガスはガスで歴史に残るレコーディングプロデューサーになったのだから。

では、何が問題かって?ああいう争いが無ければこのライナーノーツで何も書くことはないだろう。だって、レコーディングは万事順調に行ったよ、なんて話を読んだってみんな死ぬほど退屈になるだけ。

分かったのは、アーチストっていうのは日が暮れるまで(直訳:牛がのろのろ牛小屋に帰ってくるまで)レコードをいうやつの溝にどうやってすべての魔法を注ぎ込むのか、あーでもない、こーでもないと言い争うものだってこと。それこそがアーチストの探求の旅。まあ、色々あったが、どれも経験出来て良かった。みんな、思い出をありがとう。
posted by Miko at 09:01| ニューヨーク ☀| NONSUCHライナーノーツの翻訳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月06日

最新リマスター版NONSUCHライナーノーツ訳:コリン「レコード会社からのプレッシャーでアメリカでの成功を維持するためアメリカぽいサウンドを入れようとしたが、そこは当然XTC、結局英国臭さを隠すことは出来なかった」

XTC NONSUCH THE SURROUND SOUND SERIES

ライナーノーツ BY Colin Moulding


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この業界で成功するのは最高の気分だ。でも、成功し続けようとするとガッカリしたりする。 Oranges And Lemonsのアルバムセールスはアメリカでは快調だった。Dear Godが引き金となりXTCのアメリカでの躍進は続いていた。(Dear Godは、当初シングルGrassのB面だった。ところが、ラジオプレイされ始めたため急遽A面に変更されると同時にヒットとなった。その結果、Skylarkingに追加。売り上げに必要だった勢いが付いた。)

と、ここまでは良かったのだが、せっかく収めた成功の危い坂を転げ落ちるのを防ぐにはこの世の終わりの日まで毎回アルバムヒットを繰り返さなければならないなんて誰も言わない。キングコングと同じく、「アメリカでの成功」にも餌を与えないといけないわけだ。

アルバムの一曲をアメリカでヒットさせることにレコード会社のトップが意気込んでしまったら最後。この曲に対してこうしろああしろと注文を付けてくる。それが、曲に過度なまでのプレッシャーを与え、注意していないと、期待に潰され楽曲が台無しになる。そして、ふと気づくと、レコード会社のご機嫌を取るためだったらサーカスの輪さえくぐるくらい言いなりになってしまっている。

Peter Pumpkinheadにはそういうレコード会社からのプレッシャーがあった。アメリカで収めた最初の成功を維持するために最も有力なヒット曲候補だった。完成した曲は、レコーディングの当初より(レコード会社にもっとアメリカにウケる音にしろと言われ)アメリカンサウンドなっていたのは確かだった。

しかし、良い歌っていうのは本来手に負えない性質のもの。(どんなに他人の意思が介入されても良い曲とは完全に他人に支配出来るものではないという意味。)だから、完成版はAndyのデモ版より多少おとなしくなってしまったものの、僕らの演奏は素晴らしいし、個人的にもAndyの楽曲で特に好きな曲になっている。

XTCがやれば、シングルに選ばれた曲は更にシングルに相応しい曲になるし、エキセントリックな曲は更にエキセントリック度を高める。だから、XTCのアルバムには時々風変わりな曲が紛れ込んだりする。

僕らはキングコングに餌を与えられるだけ与えたものの(レコード会社に言われる通り「アメリカの成功」を維持するためアメリカにウケる音を入れようと努力したと言う意味)、そこは当然XTC、僕らの本来の性質である放縦さや、英国らしさや、田舎の風情、それらが出てしまった。それがノンサッチ。

このアルバムは、それらの全てを集めた塊と言える ― 徹底的にキャッチーなサウンドがあるかと思うと、‘リドリ、ディドリ’風(Van CantoのWishmaster)のヘビーなギターサウンド(ミュージシャンはみんな好きだよね?)があったり。言わば、それがXTCとの戦場。

僕らの音楽スタイルはヴィダルサッスーンのヘアスタイルよりバラエティに富んでるってわけ。

ノンサッチのプロデューサーを決める時、いつものごとく数人の名前が噂された。まず、スティーブ・リリーホワイトが乗り気になってくれた、が、すぐに断ってきた。今度は、ジョージ・マーティン(ずっと要望していたお気に入りのプロデューサー)にチャンスを与えてみた、が、すぐに厳かにお断りすることになった。レコード会社が彼は雇うには高過ぎすぎると判断したため。

そして、当然、そこに あの‘昔馴染みの仲間’(Andyの事)が登場する;あいつどうしているものか? - その後はいつものパターンとなる。つまり、僕は “(Andyに向かって)おまえにまかせるよ、ちょっと一眠りしてくるからリングマスターが見つかったら起こしてくれ”って言うわけ。サーカスのリングマスター(団長) --- プロデューサーって結局そういうものだから。僕らが口論したり、あまりにも無節制にやりたい放題するのを阻止したりする人間。すなわち、レコード会社がバンドに服用させる鎮静剤。

結局、このアルバムの‘鎮静剤’役となったのは、運が尽きた感のあるこの道のベテラン、ガス・ダジョンという錠剤だった。

名前というのは良いイメージ、悪いイメージを伴って過去を思い出させる。ダジョンという名前を聞くとレコードが慌ただしくあっという間に作られた --- 時にはたった一日で --- という懐かしい時代のイメージが湧く。

ガスはアルバムについて話し合うため僕たちの地元のパブにやってきた。バットマンの大敵のペンギンを思わせるド派手ないでたちで車からさっそうと降りてきた。いかにも音楽業界の人間の臭いをプンプンさせて。思ったのは “ここら辺であんなカッコしてたら誰かにボコボコにされる...あるいは、俺がボコボコにされる”

(略)

僕はガスに好感を持っていたし、あの厳格なアプローチも気に入っていた。プロデューサーというより軍隊の曹長というタイプであった。

(略)

ガスのプロデュースのやり方は上手く行ってると思っていた。バンドに良いパフォーマンスをさせたし。アーチストからそういうパフォーマンスを引き出す特性はたいがいないがしろにされるものだ。ただし、Andyにとってはああいう‘練兵場’的なやり方がそれほど適切であったかどうかは分からない。初期の段階で既に彼にはとってはまずいことになりそうだろうなあという気はしていた。だから僕は自分の曲をさっさと録り終えると、あとは耳に指を突っ込んだ。

〜続きはまた次回〜

posted by Miko at 10:49| ニューヨーク 🌁| NONSUCHライナーノーツの翻訳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月10日

デイブ・グレゴリーのNONSUCHのライナーノーツの翻訳「遂に、俺たちも '非の打ちどころがない完璧なレコード’を作ったと確信、1992年は俺たちの年だと思った!16年ぶりに聴いて僕は断固として主張する。NONSUCHはXTCのベストアルバムだ!」

2013 ニューミックス&5.1サラウンドミックスNONSUCHのライナーノーツの対訳第一弾

(長いのでだいぶ割愛しています。今回は土曜の午後の数時間を使い急いで翻訳しました。時間の制約がある中、ベストを尽くして翻訳をしましたので誤訳はないと思いますが、変な日本語はあるかと思います。お許しください。)

Dave Gregory

XTCがレコーディングプロジェクトを開始すると、僕は必ずノートを開きすべての曲についての詳細をきっちり書き出す。一部が楽譜、一部が自分だけが分かる音楽的な速記。アレンジがどのようにリハーサルされたかを覚えておくためだ。

このアルバムの大量なる新しい楽曲の断片はかなりのアレンジを必要としており、レコーディング開始の数週間前から既に数曲のストリングアレンジメントやキーボードパートを書き出していた。

練習用に使ったウェイテッドキー付きRoland RD-250Sデジタルピアノがあったし、EMU Proteusサンプルモジュールに接続したRolandMC-500 MkIIからシーケンスをやった。

ノンサッチに味付けされたシンセサウンドの大半に、この素晴らしく非常に重宝されたデバイスが使われた。それは、80年代に、非常に多くのサンプルを再現したデバイスの特徴である冷たく電気的なシューというサウンドではなかった。

レコーディングは、10月18日金曜日に完了。夏は既に終わり、冬が近づいていた。 レコーディングで自分たちがやったことには満足していたものの、その間ずっと、GusとAndy間の対立が高まっていた。

11月11日に、MonmouthのRockfieldスタジオでミックス開始の予定だった。しかし、GusがAndyに告げた。ミックス作業にAndyおよび他のメンバーは誰も参加しないで欲しいとのことだった。

彼が言うには、Barry Hammondと二人でレコードをミックスする。それが終わったら、他のメンバーもスタジオ入りし自分たちにフィードバックをくれたり、その他の最終調整を行えば良いとのこと。

この提案に、Andyは憤慨した。

僕としては、Gusは過去に物凄い数のヒットアルバムを世に送った男だ。それはバリーも同じ。そんな二人に任せて一体どんな悪い事が起きると言うのだろうか?という気持ちだった。

しかし、Andyはアルバム制作のもっとも重要な時に、自身のプロジェクトから除外されたと感じ、抵抗した。GusとBarryがRockfieldスタジオ入りしてから解雇されるまでに1週間も掛からなかった。

そして、急遽、僕等は新たにエンジニアを探さなければならなくなった。このプロジェクトを満足出来るように完了させるためだ。彼の名前はニック・デイビス。ニックは、早速、このような挑戦を勇ましく受け入れてくれた。 11月25日月曜日に、このアルバムのミックスを一からやり直すため、AndyとNickはRockfieldスタジオに戻った。

僕とColinは一切関わらなかった。二人とも、レコードをプロデュースする任務がある者にアルバムを完成させるチャンスを与えるべきだと感じていたからだった。Andyのレコーディングへの介入は多くの悪感情をもたらし、僕自身、嫌な気分であった。

そして、Nickとミックス作業開始して2日後に、RockfieldスタジオからAndyが電話をしてきた。 「Nickが俺たちのレコードにやってくれた事と言ったら信じられないぞ。まず、My Bird Performsをミックスしてくれて、それが完璧で...今、やってるのは、Holly Up On Poppyだが、これがもう素晴らしいんだ…おまえも来いよ!」

AndyとRockfieldスタジオから、Swindonの家に運転して帰った時の事を思い出す。手元にあった完成したアルバムのカセットテープを、カセットプレーヤーに入れた。それは、僕の車の品質の悪いステレオで聴いても、スタジオで聴いたような良いサウンドだった。

過去に完成させたXTCのアルバムの中でも、Nonsuchほどその完成度に心から満足を感じたアルバムはなかった。遂に、俺たちも世にいう '非の打ちどころがない完璧なレコード’を作り上げたのだと確信した。1992年は俺たちの年になるぞと固く信じたのだった。

このライナーノーツを書くにあたり、記憶を呼び起こす為、寂しく保管されていたNonsuchのビニール盤を引っ張り出して聴いてみた。

その質の高さを再発見したのは嬉しい驚きであった。

その前に出た2枚のアルバム程には、Nonsuchが売れず、音楽に対する自分の判断力に自信を失いかけた。今、16年ぶりにあらたな気持ちで聴いたら、絶対に当時、耳には聴こえなかったあのアルバムに内在する弱点が即浮き彫りにされるのではないかと思った。

しかし、実際に聴いたところ、違ったのだ。

僕は断固として主張する。このアルバムは恐らくXTCが作ったアルバムの中でも最高のアルバムだ。

本アルバムは、1993年度グラミー賞のBest Alternative Albumにノミネートされた。音楽業界のどこかの重要な誰かがこのアルバムを聴いていてくれたという事が証明されたのはいくばくかの慰めになっている。受賞したのは、Tom WaitsのBone Machineという賞に値する素晴らしいアルバムだった。B52s (Good Stuff)、The Cure(Wish)、Morrissey (Your Arsenal)と並んでXTCも上位入賞者として残った。

プロデューサーのGusは、レコーディングスタジオスタッフが技術的な側面およびレコーディングされるシンガーやミュージシャンの面倒を見るという、古いタイプのレコードプロダクションの人間だった。

だが、例えば、Elton Johnなどは、どうやらプロデュースは完全にGasにまかせっきりだったらしく、アレンジの問題やらミックスの議論やらには口を挟まなかった。それが途方もなく良い結果を生んだ...

ところが、今日のアーチストの多くは自分たちの音楽に関わるあらゆる面、特にレコーディングプロセスについて細部に渡り指示を出すことを強く要求する。

それは、Andyも例外ではなかった。

プロデューサーから、自分のレコードのミックスセッションには来てくれるなと言われる事は(ちょうどその5年前Todd Rungren に同じ事を言われたように)Andyにとっては、侮辱に等しいものであった。

多分、Gusに関しては、もう49歳で、ちょうどプロデューサーとしてのピークは過ぎていたという感はあった。確かに、70年代および80年代に大ヒットしたアルバムの一連で己の野心を達成しきったと言える。だから、それに比較するとXTCは取るに足らない存在だったのではという感じもした。

しかし、Gasは、僕らのプロジェクトについては熱意を持っていてくれたし、彼の独自の手法で、このアルバムを実現し得る最高の光に当ててあげようという決意でいてくれていたことは確か。

Nonsuchは彼なしでは存在し得ないアルバム。そして、当然、彼の事は一生忘れない。

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posted by Miko at 08:17| ニューヨーク ☁| NONSUCHライナーノーツの翻訳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする